高校卒業後は、体育教師になるために体育大学に進学しました。ところがトレーナーとして活躍している先輩と出会ったことで、トレーナーという仕事に興味をもつように。結局、卒業と同時に医学トレーナーとして病院に勤めることになったのです。けれども当時、体育系のトレーナーが医療機関で働くなんてことは一般的ではありませんでした。看護師さんから、「体育系のトレーナーに、医療現場で何ができるの?」と言われたこともありましたね。負けず嫌いの性格なので、パイオニア精神で日々奮闘。学生時代に学んだ運動学の知識と独学で学んだ医学的知識を融合させた独自の方法論で、生活習慣病や整形疾患の患者さんの体力づくりのお手伝いをしていました。このときの経験が、当時まだ日本になかったメディカルトレーナーという仕事の礎となったのです。

出産を機に病院を退職し、1985年に「ディーガムインストラクターアカデミー」を設立。エアロビクスやヨガなどのカルチャー教室の運営をしながら、フィットネスインストラクターの養成を行っていました。その後、医学と運動学、両方のスペシャリストとして「私にしかできないことをやろう!」と思い、38歳のときにメディカルトレーナー育成のためのコースを新設。スクール名も「関西メディカルスポーツ学院」へと変更しました。以来人材育成やプロスポーツ選手のパーソナルトレーナー、スポーツ選手向けのウェア開発など、現在はスポーツのさまざまな分野で活動を続けています。
これまで世になかったメディカルトレーナーという仕事を始めたわけですから、当初は苦労の連続。自分でレールを敷いていかなくてはいけなかったので、とにかく日々勉強の毎日でした。途中、阪神大震災に遭い、スクールの運営に行き詰まったことも。けれどもここまで来られたのは、成功するまでやり続けるという強い気持があったからです。私は新しいことに挑戦するとき、「できないかも」と思ったことは一度もありません。「できるためにはどうすればいいのか」としか考えないのです。あきらめずにトライし続けて一つずつステップアップしていくことが、成功への近道といえるでしょう。