小学校の頃から、言われ続けた「落ち着きがない」という評価を、プラスに捉えることができるようになったのは、20歳になった頃のことです。落ち着きはないけれど、その分フットワーク軽く行動することができる。そのことが社会に出た後に大きく役立つようになったことは、言うまでもありません。足を引っ張っていたハンディキャップが、大きなアドバンテージに変わった瞬間でした。
佐川急便のドライバーとしてスタートした、社会人時代。若いうちに「ブルーカラーのヒマラヤ」を経験できたので、その後には「ホワイトカラーのヒマラヤ」登頂を目指し、テレビ制作会社へ転職しました。アシスタントからゴールデン番組のプロデューサーまで登りつめた5年間で学んだことは、モノづくりに対しての姿勢でした。妥協というのは、連鎖を呼ぶもの。最初に妥協をした途端、人間は楽な方向へ流れていく一方です。気をつけなければなりません。

その後、二度独立を試みましたが、双方ともに失敗。前職のテレビ制作会社での栄華が私の足を引っ張っていました。三度目のチャレンジとして設立したコンテンツ制作会社での成功が、自分の最大の可能性に気付くきっかけとなりました。それは、「無い」から始まることが、最高の未来を創るということです。「有る」という環境は少しも私の成長を促さないことを痛感しました。成功を収めていた会社の代表を辞任したのは、「有る」環境に辟易してしまったことが大きな要因でした。
そして、国立ファームの設立。農業という分野に参画した理由は、自分でも理解に苦しむところがあります。ただ、そこに何のゆかりもない人間の方が、客観性を持って業界をリードしていけるのではないかと感じることがあるのも実情です。その分野に興味のない人に、何を与えたら良いのかを気付けますから。野菜に何の興味もなかった私が、いま農業の未来を変えようとしています。
ですから、「無」から始まる可能性に、いち早く気付いていただきたいと思っています。できない理由を作って、堂々と「できない」と言わないでください。できないことをできるようにした時、初めて付加価値は生まれるものなのです。