青森・藤崎のリンゴ農家に生まれた私は、京都の大学を卒業後、地元で就職先を探し、入社したのがコンピュータ会社でした。当時は個人がコンピュータに触れる機会などほとんどない時代で、しかも私は法学部出身。入社後は、知識ゼロの状態から、オペレーションやCOBOL のプログラミングなどを覚えていきました。
SEとして次第に自信がついてきた入社4年目に、大きな転機が訪れます。顧客先で電算室を作ることになり、責任者に請われ移籍したのです。その後、他社のシステム開発を請け負うことが多くなったことから、1982年に分社化。これがマルマンコンピュータサービスの起源でした。
こういった経緯ですから、自分で決意して起業したというより、人との出会い、流れで推していただいたという意識が強いです。事業でも、当時は様々な業種でコンピュータが導入された時期で、会社を設立した頃にはWindowsが出てきました。事業を拡大しようとしたのではなく、ニーズに合わせ技術的な適応をするうち、お客様が増えていった印象です。

現在の主事業のひとつ、看護業務支援システム「ナース物語」の開発も、お客様からのニーズがきっかけです。看護部長から看護師の業務管理の相談を受け、看護業務の特徴を一つひとつ聞き取りながら開発、平成6年にリリースしました。
「ナース物語」が医療専門誌で紹介された時のことは大変思い出深く、掲載後すぐに大阪の救急病院から問い合わせがあり、次に九州、東京、東北、北海道と全国各地に広がっていきました。青森で開発したソフトが有用性を認められ、「西」から全国に広がっていくのは不思議な感覚だったことを思い出します。
その後、本格的なパソコン時代に突入、大手から看護師向けのパッケージソフトがリリースされましたが、売上は落ちませんでした。技術もさることながら、ドクターではなく現場の看護師の生の声を聞き、改善する開発姿勢に強みがあるのだと思っています。
私のキャリアを振り返ってみると、お世話になった経営者、上司、同僚、そしてお客様と、人との「縁」で今があるのだと実感します。損得ではなく、心で人に向き合うと、小さな縁が「絆」となり、いざという時、大きな力となります。若い方々にも、これまでの、そしてこれからの無数の人との出会いや縁を大切にしてほしいものです。