勉強をする意味は何か? それを知ったのは、中学3年生の頃に担任の先生に言われた「どうするのだ?」という一言でした。それは、ろくに勉強もしてこなかった私に、将来をどう考えているのかという問いだったのです。そこで、突然焦りのようなものを感じて必死に勉強をしました。そのおかげで、それまでまともな成績を取ったこともなかった私が、進学校に入ることができたのです。そして、勉強とは、自分が知らなかった様々なことを学び、人生の可能性を広げてくれるものなのだと知りました。
その経験は、現在の会社経営にも大きく影響する思考を確立してくれました。聖書の中に、こんな言葉があります。「広き門から入るな、狭き門より入れ」。私は、どんな事業であっても、決して楽な道は選びません。誰も挑戦しないような難易度の高い道を選択していくのです。目先の欲を満たすために仕事をするのではなく、広く大きな視野を持って先々を見据えた仕事をしていきたい。人間がなぜ存在し、何の目的で生きているのかを知っていれば、自ずとそれに準じた仕事ができるのだと思うのです。

そして私は、その目的は子孫繁栄にあると考えています。地球に生命体が誕生して37億年。進化と絶滅を繰り返しながら途切れることなく命を繋いできました。この奇跡があったからこそ、私たちは今ここに存在しています。次の命に繋げるために、どんな人生を生きていくのかを問い、若い世代がそれを考える力を持つために、育ててあげることも先を生きる人間の務めなのです。だからこそ私は、社員に命令はしません。命令をすると、人は考えなくなるからです。考えなくなることは、すごく怖いことですよね。正しい教育をして根本から人を育てていくことができれば、世の中を大きく変えることだってできるのです。
企業とは、親となる人々が自分の愛する子どもたちを産み育てたいと思えるような社会づくりを担う組織である。私は、そう考えています。日々の仕事のストレスで、家庭に当たる親がいる。その子どもは、学校でより弱い者をいじめる。それが学校で起きるいじめの原因ならば、企業の努力一つで世の中からいじめを減らすことだってできるのではないでしょうか。より良い社会を創りだし、子孫繁栄に寄与していく。そのためにもあえて、狭き門を突き進んでほしいと思います。