今、世の中では「すべての女性が輝く社会づくり」が推進されていますが、私が社会に出たころは、女性は学校を卒業したら結婚して家庭に入るというのが一般的でした。そんな時代、事務員として働きながらも英語の勉強に面白さを感じていた私は、海外に行きたいという思いが日増しに強くなっていきました。まだ1ドルが360円の固定相場制だった頃のことです。海外に行くのは、お金持ちか将来有望なエリートに限られていました。それでも海外に行きたい一心でなんとかお金を工面して、知人の住むスイスへ。その後イギリスに渡って英語を学びました。一旦帰国した後、オーストラリアの会社に就職が決まり、渡豪したのです。
そこで見たのは、まさに女性がいきいきと仕事をする姿。当時、日本では考えられなかった女性管理職や、自分の能力をいかして働く女性たちの姿に衝撃を受けました。
そんなある日のことです。オフィスに見慣れない女性がやってきて、粛々と仕事に取りかかり始めました。疑問に思って同僚にたずねると「彼女はテンポラリー・スタッフ(臨時社員)よ」と教えてくれたのです。これが「人材派遣」との出合いでした。イギリスに留学した時に、人材派遣というシステムに関する本を読んだことはありましたが、実際に目の当たりにし、何て便利なのだろうと感じました。とはいえ、この時点ではまだ起業する気はなく、人材派遣会社を見学して日本に戻りました。

帰国後も、私の心にはオーストラリアで見た女性たちの姿が強烈に残っていました。日本の会社に就職して事務補助の仕事をするのか、それともオーストラリアで見たような人材派遣の会社を作るのか——。
当時私は40歳目前でしたが、何かを始めるにの遅いことはないと覚悟を決め、六本木のアパートの一室に自宅兼オフィスを構えました。たった一人で小さくスタートした会社も、今ではグループ全体の業績が4000億、社員数は2万5千人を超える会社に。現在は人材派遣、紹介、メディア事業など、幅広く事業展開を行っています。
これから社会に出る学生の皆さんには、失敗を恐れずに挑んでほしいと思います。そして「これだ!」と思えるものに出合ったら、あきらめずに続けること。
たとえ途中でつまずいたとしても、やらないで後悔するよりはずっといい。逃げずに挑戦し続ければ、きっといつか道は開けていきますよ。