大学卒業後は、ラーメンの屋台を引きながら小説を書くか、10年限定でマスメディアに行って社会の色々なものを取材するか、どちらかを選ぼうと思っていました。
ただ、慶應の文学部を中退して早稲田の政治経済学部に入り直し、さらにスキーで怪我をして1年留年したので、卒業の頃には既に26歳。まずマスコミに行こうとして毎日新聞に事実上内定をもらったのですが、嫌な予感がして辞退。それからは求人もなく、覚悟を決めてラーメン屋台のお兄さんに、ラーメンの作り方を教わりに行きました。
そんな私を心配した当時のガールフレンドが、共同通信の求人が出ているよと教えてくれたのです。「25歳まで」と言われましたが、何度も電話をして受験票をもらい、一次試験に合格し、四次まで進み、役員面接で事件が起きました。「どの部に行きたいか」と当時の編集局長に問われ、電車のホームからサラリーマンが転落するのを見た、という話をしました。「単なる二日酔いかもしれないし、労働条件が悪くて疲れていたのかもしれないし、別の事情があったのかもしれない。そんな庶民の生活に密着して、社会から人間の根幹までを取材したり記事にしたりするのが社会部だと思うから、社会部に行きたい」と。

すると、「君はジャーナリストには向いてない」と言われたのです。「君は転落した人を助けるタイプ。ジャーナリストはどんな時でも冷徹に写真を撮り、記事を書く。人を助けたかったら消防官や警察官になればいい」と。もう覚悟を決めて反論しました。「そんな風に安全な所で傍観しているからマスメディアへの不信感が強まるんだ」と。結果、怒鳴り合いです。これは落ちるなと思いました。ところが内定通知が届いたのです。
もし、一回でも共同通信という大組織に妥協していたら、あるいは局長の仰るジャーナリズム論に合わせていたら、私の人生は始まっていません。共同通信社の記者として世界の現場を歩いた経験が、今の自分の原点ですから。
私は本にサインをする時、「脱私即的(だっしそくてき)」という造語を書いています。「私を脱し本来の目的につく」。私心を離れて、根っこにある目的のためにやるということです。この仕事を通じて人のためになるという思いと、自分の個性を信じる気持ち。それがあれば、何事にも臆することはありません。同調圧力に負けない自分を持ってください。