島根半島の漁師町で育った私は、自然や人々との対話を通じて多くのことを学び、悟りました。7つの海を命懸けで航海する漁師たちは政治・経済・社会・経営などの見聞が広く、その時の経験は人間力と挑戦心に必要な感性を培ってくれました。そして、岩に打ちつける荒波を見ては「当たって砕けろ」ならぬ「当たって乗り越せ」という格言を思いつき、挑戦心が夢と希望に変わりました。
その後、故郷を離れた私は、船員を目指し無線通信を学びました。そして東京の企業で有線通信技術(電話交換システム)を開発することになったのです。国内外の通信網を作るこの仕事は、情報が行き届くようになれば社会が民主的になり、結果として争いの無い世界平和に貢献することになるため、大きなやりがいを感じていました。そんな中、アフリカの大地、自然と人の営みの中で生活にあえぐ人々を目にしたことで、「決して他人事ではない」と日本の若者の将来に危機感を抱いた私は、若者のために新しい仕事を創ることを決意。そこで選択したのが、当時輸出量が伸びていたハイテク商品に添付する”説明書“でした。
アメリカではドキュメンテーション(契約書類)と呼ぶほど説明書が重視され、社会、地域、民族、責任・契約など文化を受入れることが重要であり、各分野の専門家を集めて説明書を制作しなければいけません。ところが、当時の日本には専門外のスタッフが翻訳した不備だらけのものしかなかったのです。そこで私は、当社の前身である「日本ドキュメントリサーチ」という会社を立ち上げ、新たなニーズに応えていきました。
こうして日本のドキュメントの礎作りに微力ながら貢献できたわけですが、やみくもにやってうまくいったのではありません。何事も成功するには”道筋“を描くことが必要で、野球、テニスなどと同様に、思考にはスタンスが、行動(言動)にはプロセス(手順)があれば目的が達成できます。私は「スタンスの確立」と呼んでいますが、これをビジュアル(文書)化して他者と共有することで標準化する。これこそが「武装化」で、ここまできてようやく競争社会で戦えるのです。
だからこそ、若い人たちも物事をしっかりビジュアル化し、自分が何をすべきかを理解してほしい。社会が成熟して八方塞がりのムードが漂う今、自力で新しい道「武装化」を見つけることが求められているのです。