子供の頃、煮干しがご馳走でした。父親は生活保護と日雇いの仕事で得たわずかなお金の大半を競輪で使い果すような人でした。私もよく連れていかれ、落ちているはずれ車券の中から、当たり車券を探すのが私の役目で、とんでもない少年時代でした。
自分が孤児だと知ったのは、高校受験に受かり、学校に提出する戸籍謄本の写しを見た時。ショックではなかったです。そもそも自分の境遇を不幸だと思ったことはありませんでした。養父のことは好きでしたし、自分と周りを比較したこともありません。
高校卒業後は不動産会社に就職。その後独立し、妻の薦めで日銭稼ぎの副業として喫茶店を始めました。オープン日はお祝いの花スタンドが20台以上並び、朝7時に開店。すると、花がほとんど抜き取られていました。名古屋では勝手に花を持って行くことができ、花がなくなるのは縁起が良いとされているためです。
不動産業は広告を出しても電話すらほとんど鳴らなかったのに、これだけ多くの人に来ていただけた!と感激し、ほどなくして不動産業を廃業。喫茶店経営にのめりこみました。25歳の時です。

その後、2店に増やした喫茶店はどちらも超繁盛店になりました。ただ名古屋では常識のモーニングをつけなかったので、うまくいくまでに1年かかりました。生い立ちが影響しているのか、私は人の話を聞かず、自分で自分の道を切り開こうとするのです(笑)。
2店目も当初は順調ではなかったものの、ウィンナーコーヒーを売りにして火がつきました。ただ体力的に大変になり、出前で今以上の売り上げを作ろうと出前メニューとして始めたのがカレーです。それが売れて、3号店はカレーの店にしようと東京に出向き、10軒以上の有名店を食べ歩いたものの、どこの店よりうちの店が美味しい。帰りの新幹線の中で「ココが一番や、CoCo壱番屋」と思いつき、それが屋号になりました。
以来38年余り、ココイチは国内外に店鋪を増やし1400店を突破。メニューに写真を載せたのも売り上げが伸びたきっかけです。ビーフカレーの写真を撮る際、沈んでしまう牛肉をピンセットですくい上げるスタッフに「それはしなくていいよ。ありのままでいい」と伝えました。装うことはない。真面目にひたむきに、コツコツとやり続ける。自分の人生を良くしようと思ったら、それが一番の近道だと私は思っています。