私は1984年に精工舎(現・セイコークロック/セイコープレシジョン)に入社、2003年にセイコーウオッチ社長に就任しました。現在は会長兼CEOとして長期的な経営の舵取りを担当する一方で、セイコーホールディングスグループの会長兼グループCEOとして多岐に渡る事業をみています。
セイコーウオッチで腕時計の世界に携わっていく前に、私はとても大事な経験をしています。
大学を卒業し、9年間を商社で過ごした後、クロックやカメラ部品、プリンターなどを製造するセイコーの製造会社「精工舎」に入社しました。プリンターを担当していたときのことです。「これからはプリントもカラーの時代になる。カラープリンターを発売しよう!」と考え、開発担当者を叱咤激励しながら、セイコーとしては初めてカラープリンターを発売したのです。しかし、いざ蓋を開けてみるとほとんど売れませんでした。当時としては時代の先を行き過ぎていたのです。1881年にセイコーを創業した私の曽祖父、服部金太郎は「常に時代の一歩先を行く」ということを信条としていました。二歩も三歩も先を行くのではなく、時代のニーズを読みながら、一歩先を行くことが市場には受け入れられる、という教えを実感した失敗でした。
以前から若い人たちの間でよく使われている「(場の)空気を読む」という言葉があります。最近では「忖度」という言葉が流行りました。背景には、失敗を恐れるばかりに周囲を気にしすぎている雰囲気があるように思います。しかし、失敗を恐れてばかりいては新しいもの、革新的なもの、心に届くものは生まれません。もし失敗をしたとしても「その失敗から何かを学んでいく」というポジティブな姿勢が大切です。
積極的に周囲の人たちとコミュニケーションをとり、一体になりながら、その失敗を乗り越えていく。いざというとき、自分だけが動くのでなく、広く、長期的な視野を持って周囲の人を動かしていける人が新しい価値を生み出していける人だと思います。
腕時計も、たとえば世界初、新技術というだけではなく、製品の背後にある作り手の考え方やブランドの歴史を伝え、時計を身につける人の感性と響きあうことが重要です。若い皆さんには失敗を恐れず、周囲の人、そして世界の人々の心を動かし、そして時代を動かす人になることを期待します。