私が生まれたのは1937年。物心ついたころは戦争のただ中でした。父は戦死し、1945年7月9日には、住んでいる和歌山市が大規模な爆撃により焼け野原となりました。終戦時は8歳でしたが、食べるためには子供も働かなくてはなりません。思い出すのは、がれきを処理し、畑を作る作業。100坪の土地を区画して、毎週2坪開墾し、作物を植えるといったことを、子供ながらに試行錯誤して行いました。
事業の原点である手袋編機の開発もまた、家族が生きていくためのものです。当時母が内職で手袋を作っていて、なんとか楽に作る方法はないものかと、16歳の時、手袋の本体と手首の部分を簡単に縫製できる「二重環かがりミシン」を考案しました。
会社を立ち上げたのは24歳。当初目標に据えたのは、手袋の全自動化です。ほとんどの人に「絶対失敗する」と言われましたが、1964年、27歳の時に全自動手袋編機(角型)の開発に成功しました。しかし、その時会社は100万円の資本金で3000万円の赤字、借入は6000万円と、年を越せるかもわからない状態。12月はほとんど寝ずに働きました。ただ、まったく苦労したとは思っていません。やらされるのではなく、自分でやろうと思ってやった仕事は、苦労も疲れも感じないものです。
当社は企業理念として「Ever Onward ―限りなき前進」を掲げています。仕事とは、常に今までにないものを創造することであり、今あるものは全て古いのです。当社は現在、最先端技術を使ったコンピュータ横編機で世界シェアのトップクラスとなりましたが、小学生時代に畑を作った時から、「二重環かがりミシン」を作った時もまた然り、ないものを創る、という私の姿勢は変わっていません。
今は、学歴が重視される時代。しかし、学校で勉強できるのは過去に確立した知識にすぎません。10代、20代は、創造性が大きく育つ時期。知識を詰め込み、試験のために頭を使うばかりで、もったいないと感じます。これから社会に出る人に伝えたいのは、お金を儲けるだけではなく、新しい価値を創造できる人であってほしいということ。創造性を生み出すのは、仕事への愛です。仕事を愛するとやる氣が出ます。情熱を注ぐと創造力が湧いてきます。仕事への愛は簡単には消えません。いかなる危機も乗り越える力となってくれるでしょう。