海外留学の経験があり、現在も仕事で外国へ行くことが多いのですが、日本の報道や仕事の場で、カタカナ語が数多く飛び交っていることへの矛盾を感じることがあります。カタカナ語が入ってきたときにそのまま鵜呑みにするのではなく、一度ちゃんと日本語に置き換えて考えてみた方がいいのではないかと思っています。安易なカタカナ語の使用は誤解も生じやすく、また、物事の本質に迫ろうとしていないように感じるからです。
『グローバル』という言葉自体もここ数年でよく使われるようになったカタカナ語ですが、いざ「グローバルってなんですか?」と問われると、その意味をよく理解せずに使っていたことに気が付くのではないでしょうか。単に諸外国それぞれと関係することをグローバルとはいいません。インターネットのように世界規模で活用されているツールは確かにグローバルで、それを使いこなすことは重要ですが、自分自身がグローバルになる必要はない。仕事として英語を使うのであれば勉強するべきだと思いますが、カタカナ語をあえて使って話し合うことが物事の本質を捉えているとはいいがたく、かえって生産性を低くしているのではと感じています。むしろ自国の言葉や文化を極め、自国の良さも悪さも知っておくことこそが真の『グローバル』なのではないでしょうか。
まずは日本語でしっかりと考えられる力を培うこと。そのためにはたくさんの本を読み、深い思考力をきたえること。私自身も自ら筆を取り、本を出版することで、そうした大切さを伝えているところです。そのうえで海外に出れば、日本と諸外国を比較でき、良いところも悪いところも見えてくる。また外国人の友達を作り直接的な情報源を得ることも、より他国の理解を深めることに繋がるでしょう。
価値観が多様化する社会では従来の価値観が崩れつつあって、何が正解か、答えがない。皆さんにはぜひ正解のないこの状況を楽しんでほしいと思いますね。親や上司、先輩の話を鵜呑みにせず自分で咀嚼(そしゃく)して、自分の頭で考える。自分の人生は自分で考えて、やりたいことをやればいいと思います。人生はマラソンと同じ。すぐに結果を求めず、いろいろな経験をしながら、着実に一歩ずつ前に進んでいくしかありません。がんばってください!