株式会社メニコン 田中 恭一
株式会社メニコン 創業者

田中 恭一

Tanaka Kyoichi

氏名
田中 恭一 (たなか きょういち)
生年月日
1931年

社名
株式会社メニコン
本社所在地
愛知県名古屋市中区葵3-21-19
資本金
33億7,962万(2018年3月末時点)
従業員数
1,259名(2018年3月末時点)
事業内容
コンタクトレンズの開発・製造・販売、コンタクトレンズケア用品の開発・製造・販売
株式会社メニコン 創業者

田中 恭一

Tanaka Kyoichi

360度思考のすすめ

現代は物を開発する力のないところは生き残れない時代です。開発力がないから輸入に頼るようになる。よって、それ以上の物は生み出せなくなる。仮にアイディアはあっても商品化ができない。そうして競争力を失ってゆくのです。

メニコンは開発・製造・販売を一貫して自社で行い、そのおかげで今も存続することができています。創業のきっかけは1951年。名古屋市内の眼鏡店に勤めていた当時19歳の私が日本で初めて角膜コンタクトレンズ(今でいうハードレンズ)の実用化に成功したことから我が社の歴史は始まりました。コンタクトレンズが”未来のレンズ“と言われていた頃の話です。

眼鏡店にやって来たアメリカ人からコンタクトレンズを持っていると言われ「見せて欲しい」と懇願しましたが、「高価なものだから」と結局見ることは叶いませんでした。見せてもらえなかったことで、反射的にそれならば自分で作ってしまおうと思い立ちました。眼鏡のフレームに使われはじめていたアクリル樹脂を削り出し、研磨して試作を重ねそれほど時間をかけずに現在とほぼ変わらない形のコンタクトレンズができましたが、水中や風などを受けた時などを想定しながら自分の目に入れてテストを繰り返し精度を上げていきました。

株式会社メニコン 田中 恭一

私の父は竹で作品を作り、彫刻を施す竹彫作家で、その父から私は手先の器用さを譲り受け、物作りの精神を学びました。基本をしっかりと身に付け、その上でオリジナリティのあるものを生み出すこと、人の真似をしないこと。そして、もし途中で躓いても完成させるまで立ち向かっていくこと。諦めずに何度もやり続けているうちは、それを失敗とは言いません。そのような考え方を、若い社員達に伝えています。

かつて水平思考という言葉が流行ったことがありました。これまでの枠にとらわれず、視点をスライドさせることで様々な角度から問題解決の手がかりを得られることを指しますが、私はこれをさらに進化させ、『360度思考』で物事を捉えるようにしています。

皆さんも、物には別の見方があることを忘れてはなりません。若い人達からよく「壁にぶつかった時はどうすればいいですか?」と聞かれることがありますが、その壁はあなたがあなたの頭の中に作った壁です。頭の中で別の角度から見てごらんなさい。360度ぐるりと見渡せば道はいくらでも見えてくる。壁は壁でなくなります。