20代の頃の私は、30代で起業することを夢見ていました。そのための資金と経験を積むために当社で一営業マンとしてキャリアをスタートした私ですが、以来ずっと大事にしていることがあります。それは「信頼される人間関係を築く」こと。信頼してもらうためにはどうすればいいかを追求し続けた結果、入社2年目で営業成績全国1位を獲得。その後、営業在籍14年半で29回の賞レースにおいて15回1位を受賞しました。
30歳で営業課長、36歳で支店長、39歳で役員と苦難を乗り越えながらも順調に出世を重ねていくなか、42歳で故郷北海道から首都圏への転勤を命じられました。その時は正直会社を辞めて事業を起こそうか真剣に悩みましたね。けれど「北海道の熊で終わるか、日本の中心で暴れる男になるか」の2択で後者をとり首都圏へ。結果を残し、48歳の時に3代目社長に就任しました。
けれど当時の当社は債務超過寸前。多角経営の失敗により、金庫は空っぽ、それどころか負債額680億円と抱えている状態だったのです。私は「もうすでに潰れているような会社だからやるしかない、自分が努力してもダメなら潰れてしまえ」と腹を括りました。その時にまず行なったのが社員の意識改革。箱根の保養所で3年間かけて全員と「人生をどう生きるべきか、どうやって会社を立て直すか」をディスカッションしたのです。すると、それまで「自分がやらなくても誰かがやるだろう」という姿勢だった社員が、己の頭で考えて行動するように。気付いた頃には会社を立て直せる目処が立っていたのです。「企業は人を育て、人は企業を育てる」としみじみ実感した瞬間でしたね。

私は常日頃、社員に「70点主義でいい、これが上手に生きるコツ」と言っています。「完璧主義では前に進めない、70点を取ったら次に進め。次に進んでいるうちに前の目標が100点が取れる自分になっているから」と。かつて私は30代で起業することを目指していました。それが気付いたら一部上場企業の社長になり、いま会長になっています。これは、目標や夢を持ち続けた結果だと私は捉えています。
私の人生は、正直、苦難困難だらけでした。けれど振り返ると、楽しようとした時にいいことはなかったなとも思います。いつだって苦難困難を乗り越えた先に歓喜がありました。若者をその歓喜に導くことこそがリーダーの役割なのではないでしょうか。