清松総合鐵工は、私の両親が創業した鉄工関係の会社です。いつか会社を継ぐとは思っていましたが、大分大学大学院卒業後に三井造船に入社して、いつしかそれも考えなくなっていました。
ところが1991年バブル崩壊の影響が出始めた頃、私は正月に帰省し愕然としました。大分にはまだバブル崩壊の余波が届いておらず、親の会社は多額の借金をして工場を建て替えていたのです。このままいけば早晩、経営危機が訪れることは明白でした。しかもその借金は私も保証人となっています。破綻すれば親の借金を返済するだけの一生になるでしょう。きっと親を恨んで生きることになる。それだけは嫌でした。「ならば自分の責任でつぶそう」と親の会社へ入社を決意したのでした。
案の定、ほどなく取引先が次々に倒産し売り上げは激減。私は三井造船での人脈を頼り社員を伴い関東で仕事をしながら、週末は地元に帰り顧客開拓に努めました。そんな中、商社との縁を頂きました。しかし当時は、客先が競合する商社との取引は同業者の慣行に背くことでありモラル違反と後ろ指を差されました。しかし、きっとこれからは商社を外して商売ができない時代が来ると確信し、全ての取引を商社に切り替え、徐々に倒産の危機から脱することができたのです。業界は30年間低迷してきましたが、その中で当社が生き残り成長できたのは、逆風の時こそ上昇するチャンスだと信じ、前向きに自分の思う道を邁進したからだと思います。
社長就任後、リーダーとして社員を率いることも試行錯誤を繰り返しながら学びました。最初は自分の価値観で社員を叱咤し引っ張ろうとしましたが、非難や否定ではなく「承認」で成り立つ組織を作る重要性に気づきました。人は物事をイヤイヤ行うより、やりたいことを楽しんでいる時に本物の力が出るもの。一人ひとりの「楽しい」を承認しつつ、事業として形にし、価値創造することが私の役割だと考えられた時、どん底だった我社がトップ企業になることができたのです。
当社の社是は「世のため、人のため、そして自己(おのれ)のために」。人が自分のことを大切にするのは当然です。しかし、他人が得をすれば自分が損をするという発想は捨てるべき。我が事だけでなく、皆が良くなることを考え働く方が成果につながり、結果的に自分の幸福につながる。これこそが「楽しい」仕事なのです。