岩手・宮古市で土木や建築、砕石、不動産などの事業を幅広く展開する当社。祖父が創業し、父に受け継がれ、私は三代目の長男です。そのため小さなころから家業は意識していました。しかし周囲から「社長の息子」とみられることが、人生のレールを敷かれているようで嫌でたまらなく「絶対に継がない」と言っていました。
ただ学生時代から宮古で働くことは決めていました。建設自体に興味はなかったものの、地元で頼られ、私に「人の役に立て」といつも教えていた父の影響なのかもしれません。大学卒業後入社したのは、宮古市の電子部品メーカー。8年半勤め、工場の現場から内勤、海外勤務も経験し、社会人として成長を実感できました。しかし、電子製品が海外に輸出されることに誇らしさはありましたが、「地域の人の役に立つ」という仕事のイメージからは離れているとも感じていました。
転機となったのは、地元の青年会議所で祭りの運営に携わったこと。照明や仮設トイレを設置するため建設会社の人が活躍しているのを見て「やはりこういう仕事がしたい」と強く思いました。私は一度覚悟を決めると一直線な性格です。退社を決意し、父親に「おれ、陸中建設に入るから」と告げました。父は「ああ、そうか」、そして「ありがとう」と一言。そっけない反応ですが、やはりうれしかったのではないかと思います。
入社後大切にしたのは、現場と人を知ること。業務の全体像をつかむため積極的に現場に足を運び、従業員全員と面談し、そして賃金や福利厚生、就業規則などの、現状に即していない部分を刷新。事業ではリフォーム業をスタートするなど新機軸を打ち出しました。父の病気で入社一年半で代表取締役専務に就任することになった時も、覚悟は決まっていましたので迷いはありませんでした。
陸中建設は『地域の未来を創造します』というミッションを掲げています。家や道路に関わる建設業には「街づくり」の視点が不可欠。宮古の活性化のため、ショールームを地域交流の場として工夫したり、インターンで都会の学生が宮古で働く機会を作ったり、地元企業と協業しながら新たな取り組みを行っています。
私のキャリアには紆余曲折ありましたが、自分が覚悟をもって出した答えは、たとえ「成功」しなくても「正解」だと思っています。これから社会に出る皆さまにも、自分が決めた道を、迷いなく進んでいってほしいと思っています。