15歳で靴下問屋の奉公に出て以来、靴下を作り続けてもうすぐ70年になります。若い頃は先輩にもてあそばれ、過酷な修行時代を送りました。当時の志といえば、早く偉くなってこの毎日から脱出したいということ。知識も学もない私は、無我夢中で靴下を作り続けました。そして一所懸命に一つの物事に取り組んでいくうちに、頭が空っぽになり、靴下の言葉が素直に聞こえるようになっていったのです。無我夢中な時こそ、人が最も純粋でいられる時間を手にすることができるのです。
私から見ると、今の若い方々は考えすぎてしまう節があるように感じます。せっかく天からお告げが降りてきたとしても耳に届くことなく、様々なチャンスを逃してしまっているように思えてならないのです。
私は仕上がった靴下を必ず手で触ります。ゴムを引っ張って手触りを確かめ、その善し悪しの判断はすべて勘。そこに理屈はありません。自分の勘を素直に受けとること、それはすなわち靴下からの啓示だと思っています。私には学がない分、自分の思いに純粋に生きていくことが必要でした。仕事の中で問題や障害は当然起こりますが、そんな時は全知全能を使って一所懸命に取り組む他ありません。そうすれば必ず天が道を教えてくれると信じているのです。

私は40歳の頃、アメリカのオーランドに行きました。広大な大地にゆっくりと沈む太陽を間近に見て、私の語彙力ではとても表現できないほど美しく力強い夕陽を心で受け止めました。涙が止まりませんでした。この体験をきっかけに、「私が靴下を選んだのではない、靴下が私を選んでくれたのだ」と理解したのです。
それ以来、私の人生はすべて靴下に任せています。生きるも死ぬも自由にしてください、そう誓って生きてきました。人生は純粋に身を任せ、生きたほうが楽なのです。そうすることで他人も自分も責めることはありません。誰も責める気にならないということです。
「君たちは偉大だ」(百瀬昭次著)という一冊の本があります。このタイトルにある通り、今の時代は自分を人間だと思えていない方が多いでしょう。それはとても悲しい話だと思います。知識や学よりも、自分自身が大切な存在であることを理解してほしい。そして純粋な心で思うままに生きていってほしいと思っています。
「明日」と「朝」。明日は明るい日と書きます。朝は十月十日の生まれ変わりを意味しています。地球に生きる誰もが、明日は明るい日であり、朝を迎えるたびに生まれ変わっているということ。勇気を持ってこれからの人生に飛び込んでいってください。