私の夢は、プロ野球選手になることでした。小学生の頃から野球漬けの生活を送り、強豪として知られるPL学園高校へ進学。卒業後はプロを目指してアメリカに留学しましたが、ケガのために夢を諦め、1年ほどで帰国することになりました。
地元の和歌山に戻って来た時は自分が何をしたらいいのかがわかりませんでしたが、まずは目の前にあることをやってみようと、父の経営していた阪和総合防災に入社。ちょうど立ち上げたばかりの管工事業の現場管理を担当し、20代半ば頃には大きな現場を任されました。次第に経営にも興味が湧き、27歳頃から現場を離れて経営に参加することになったのです。
経営を知るには数字からと、決算書や通帳を見て驚きました。当時は年商4億円ほどありましたが、通帳の残高はたった200万円。社会保険料や税金も滞納しており、気づけば自分の給料も3ヶ月支払われていないという状況でした。これではいけないと一念発起し、「家業」から「企業」へ生まれ変わるための改革をスタートしたのです。
まず手を付けたのは、現状の可視化でした。一族である経営層だけが把握していた数字を、従業員にもすべて公開したのです。一人でできることには限界があります。情報を共有し、一緒に会社を良くしていこうと訴えました。約2年で債務超過の状態を脱し、黒字化を達成。当時、賛同して共に頑張ってくれた人たちは、今は幹部として会社を支えてくれるかけがけのない仲間となりました。人が人を呼ぶ良い循環ができて成長を続け、現在の4社グループ体制に繋がっています。

今後はより会社を発展させ、地元・和歌山の活性化に貢献したいと思っています。進学のために都会に出た若者が戻って来られるように、「働きたい」と思える会社を作りたい。そのために、グループをさらに拡大し、皆で一緒に作っていく会社、一社員から社長を目指せる会社にしていきたいと考えています。
若い人に伝えたいのは、「とにかくやってみよう!」ということです。今は、実際に行動を起こす前に情報を集めただけでやった気になってしまったり、やる前から諦めてしまったりする人が多いと感じます。情報はいくらでも手に入る時代ですが、同じことをしても結果は人によって違うはずです。まずやってみることで、思いがけない未来が開けます。私もそうでした。数え切れないほど失敗しましたが、長いスパンで見ればそれらはすべて成功の糧だったのです。結果を急がないことも大事です。まず、やってみる。そうして自分の未来を切り拓いていってください。