人生の扉を開く鍵は、自分の仕事を好きになることだと私は思っています。好きという気持ちの力は計り知れません。何もないところから、社会に役立つ商品やサービスをつくる力をも生み出すのです。実際に私自身の今日があるのも、そうした気持ちがあったからに他なりません。
現在、コンタクトレンズは多くの人に欠かせない商品となり、日常的に使われるようになりました。しかし今から約70年前は、日本に実用可能なコンタクトレンズはなく、1951年に私が日本で初めて角膜コンタクトレンズの開発に成功したことが契機となって日本中に広がっていきました。つまり、メニコンの歴史こそ、日本のコンタクトレンズの歴史と言っても過言ではありません。
開発のきっかけは眼鏡店で勤務していた当時、お客様だったアメリカ軍将校夫人にコンタクトレンズを見せてもらえなかったことでした。見たことが無かったために黒目の部分だけを覆うレンズを考えつきました。その材料として目を付けたのが、戦闘機に使われていた合成樹脂製の風防ガラスだったのです。自分で設計して削り出したレンズを自分の目に入れて実験を繰り返し、創り出すことが出来ました。その後もより安全性の高い素材を追求し、視力に問題を抱える方々の生活向上の一助となる製品を生み出していきました。
なぜ、ゼロからコンタクトレンズを生み出すことができたのか。それは自分の力で製品を作ってみせるという思いが人一倍強かったからに他なりません。自分の仕事が大好きで、誇りを持っていたのです。開発は私一人で始め、誰の助けもありませんでした。それでも諦めずに続けることができたのは、情熱が道なき道を照らしてくれたからです。
そうして研究開発から製造、販売までを一貫して行う体制を築き上げ、今の会社の礎となっています。皆さんも、ぜひ自分の取り組んでいることに関心を寄せ、好きになってください。情報過多で理論が先行してしまう人もいるでしょう。しかし、まずは与えられた仕事や目の前の課題に真剣に向かい合ってみることです。そして探求心を持って取り組む中で、心が動かされるような自分の好きなことが見つかっていくはずです。長い人生、恐れることはありません。好きだからこそ想像力が湧き、やがて不可能も可能にする力を生み出してくれるでしょう。
私は今年91歳になりましたが、まだまだ研究したいことは尽きません。好きという心、より良いモノを作りたいという探求心が火を付けた情熱は、今も燃え続けています。