出身は岐阜県瑞浪市。兼業農家の普通の家庭で育ちました。父は国鉄職員で、仕事で家にいない時間が多く、あまり怒られた記憶もありません。親の転勤により小学4年生で愛知県の学校に転校し、中高は名古屋の私学に進みました。特別目立つタイプでもなく、ぼーっとしている子どもでしたね。ただ、年相応に将来への漠然とした焦りや不安は抱いていました。「モノづくりでやっていきたい」と思うようになったきっかけは、中学時代に開業した新幹線の試運転への乗車です。中高と通学に蒸気機関車を使っていたこともあって、乗り物には興味がありました。高校卒業後は北海道大学工学部に入学。いろいろと学ぶ中で機械を専門に選び、1977年に久保田鉄工株式会社(現 株式会社クボタ)に入社しました。
4ヵ月ほどの工場実習を経て、筑波工場に配属。人に恵まれ成長できました。時代もあり、寝る間も惜しんで仕事をする人が多く、仕事のやる気を引き上げてくれる良い環境だったと思います。入社10年目でアメリカへ。当社は私が入社した77年ごろから海外へ目を向けており、いよいよ海外工場の新設プロジェクトが立ち上がったのです。海外に行けるチャンスがあればぜひにと思っていましたので、自分から手を挙げました。渡米前に10冊ほどアメリカ社会の本を読みましたが、実際のアメリカは全て違っていました。素朴でホスピタリティ溢れる人に恵まれ、差別もせず、必要時は残業もしてくれる。アメリカ人と仕事をする上で苦労した記憶はあまりなく、現地の人と一緒になって仕事に取り組めたのは非常に良い経験でした。今ではいろいろな国から「うちの国にクボタがあって良かった」と言ってもらえるようになり、大変喜ばしいことだと思っています。
95年に帰国し、2001年に筑波工場長に就任。07年に機械営業本部副本部長となり、タイの社長を経て14年に代表取締役社長に就任。20年から今に至ります。営業本部時代から、お客様が要望を挙げる前にサービスを提供する、お客様第一主義を強く意識するようになりました。経営陣が言うだけでは体現できませんから、現場に出向き、社員と意見交換することを大切にしています。当社は時代の変化と技術の進歩により、食料·水·環境に関わる課題解決に取り組む会社になりました。明確な目標を掲げているからか、社会課題の解決に寄与したい社員、チャレンジ精神旺盛な社員が多いと感じます。当社のブランドステートメントは「For Earth, For Life」。モットーは「壁がある、だから行く」です。これからも美しい地球環境を守りながら、人々の豊かな暮らしを支えていくために挑戦して参ります。若い皆さんも、ぜひ内なる壁を打ち破り、夢に向かって邁進してください。