模型やプラモデルが好きだった私は、大学では設計を学ぶ道を選びました。そして大学一年生の頃、「図学および演習」という図面の書き方を学ぶ講義があり、その講師が堀越二郎先生だったのです。零戦や国産旅客機YS-11の設計を手掛けた先生というよりも、映画「風立ちぬ」の主人公のモデルとなった方と言った方がわかりやすいかもしれません。鉛筆で図面を引き、ロットリング(製図用万年筆)で引き直すなど、まだCADシステムがないアナログな時代の話です。その授業で私は、設計の魅力と面白さを実感させて頂きました。
その後は東栄コンクリートで設計と製品開発を担当し充実した日々を送っていましたが、社長になったのは青天の霹靂、2005年のことです。心臓の手術をすることになった父が、突然私に社長業を譲ると言い出したのでした。
設計畑ひと筋、銀行さえ1人で行ったことのない私が社長を引き受けることになり、不安と何をやるべきかで毎朝3時に目が覚めてはあれこれ思案していたのを思い出します。

コンクリート製品とは、建設資材の中でも土木用・建築用と多様なオーダーがあり、品質に手抜きが許されません。そして弊社のポリシーには「難しい案件を断らない」というものがあります。東北での実績を重ねるうち、顧客は東京はじめ全国34都道府県まで出荷させて頂けるようになりました。
大手ゼネコンとのビッグプロジェクトで世界初の構法にも参画させて頂きました。彼らの仕事には本当に感嘆しました。
とはいえ現代の日本は、世界から取り残されつつあります。優秀な人材が多いのですが、様々な厳しすぎる法律や規制で縛られ過ぎて、自由な発想や新しいビジネスを妨げていることも一因と言えるでしょう。建設の現場でも海外の革新的技術が規制によって国内で使えないことも多々あります。このままでは日本は技術と情報の鎖国となってしまうと危惧しています。こうした現状を知るためにも、若い方々には海外を積極的に体感し、日本を良い国へと変えていってほしいと期待しています。
そして最後に、未来を背負う若い方々に向けて、仕事で起きる不思議な現象を一つ教えましょう。
「どんな無理難題でも思いを強くすれば必ず解決できる」ということです。稲盛和夫さんの言葉をお借りすれば「潜在意識に透徹するほどの強い願望」でしょうか。
私も経営で悩む時はありますが、3日も熟慮し続ければ何かしらの道は示されます。この言葉を今後のチャレンジの際に思い出してください。「人生にリセットボタンは無いけれど、スタートボタンは何回押してもいい」。そんな挑戦こそが道を拓くのです。ぜひ若い方々もがんばってください。