当法人は岡山をはじめ、東京、神奈川、千葉、埼玉、愛知、大阪、福岡にて67箇所の認可保育園・認定こども園、さらに障がい児支援施設と放課後児童クラブを各1園運営しています。子ども達だけでなく職員達、そして保護者の方まで、すべての方々のよりどころとなる「Home」でありたいというのが経営理念です。
岡山で菓子屋を営む家に生まれた私は、待望の跡取り息子として大切に育てられました。中学のときには高校受験の失敗という挫折も味わいましたが、浪人生として過ごした1年はむしろ勉強面や交友面で非常に実りのある期間だったと思います。立教大学を卒業後は、百貨店「松屋」へ入社しました。実家の菓子をいつか百貨店に納めるべく、リサーチを兼ねて勉強しておこうと考えたのです。ところが29歳のとき、父の大病を理由に帰郷を余儀なくされ、家業が危機に瀕していることを知ります。そこで父に代わって事業の指揮を執り始めたのですが、当時の私は完全にトップダウンの経営者で、社員どころか取引先にまで強い態度で接していました。
皮肉なことに、私が切羽詰まれば詰まるほど士気も売上も落ちていくばかり。結果、私は50年余り続いた家業を廃業へと追いやってしまいました。当時の悔恨の念は今なお忘れていません。しかし、あの嵐のような時期があったからこその「今」だとも捉えています。
伯父が設立していた企業内託児所の理事長職を承継していた私は、来賓としてたびたび保育園行事に招かれ、園児の笑顔や、活き活きと働く保育士さんの姿を見ては活力を貰っていました。さらに当時は待機児童問題が騒がれていた時期で、私は保育園事業に本格的に参画する決意を固めます。しかし当時の園長と入れ替わりで私が経営者として入ったところ、ほとんどの職員が退職。ここでまた経営の危機を迎えてしまいます。
ただ、数人の職員が残留し、懸命に頑張ってくれたことでなんとか首は繋がり、平成9年には財団法人から社会福祉法人へと変更。それ以降は地元で評判の保育園となり、岡山県外へも精力的に手を広げて今に至っています。かつては「日本一の菓子屋」という夢に破れた私でしたが、周囲の人達の力を借りたことで、「社会福祉法人の保育園」というカテゴリーで日本一を達成しました。
最近の若い方は、熱い思いはあるものの前面に出せないような、そんな自信のなさを感じます。自信を持つためには、どんどん行動して、失敗をしつこく積み重ねて、成功へ向かっていくしかありません。生まれつきの「性格」に頼るのではなく、「考え方」を変えるのです。先のことや悪いことを考えすぎるから怖くなるだけで、実は失敗なんて大したことがないとわかれば、皆さんの前進力に加速がつくと思います。