恥ずかしながら、大学時代に勉強らしい勉強をした記憶はほとんどありません。なんとなくアルバイトをして、友達と遊んでいるうちに、気づけば大学3年生になっていた私。自分の状況が強烈にむなしくなり、就職で一発逆転することを決めました。早くに活躍できる環境を求め、複数のベンチャー企業にエントリー。創業者かつ当時の社長で、現会長の井上高志のカリスマ性に惹かれ、新卒の営業として当社に入社しました。
当社は不動産・住宅情報サービス「LIFULL HOME’S」(以下、HOME’S)などを運営する企業です。が、私は社会人になるまでずっと実家暮らし。不動産会社に足を運んだこともなければ、HOME’Sを使ったこともありませんでした。加えて入社初期は結果が出せず、同期より遅れをとっていました。
そんな私がなぜ、社長になれたのか。それは、就活時の決意を忘れず、失敗しながらも、挑戦を続け、少しずつ成功体験を積み重ねてきたからです。例えば、1年目で配属された大阪支店で、西日本エリアのHOME’S 導入企業の拡大に貢献したり、マネージャーとして不動産ポータルサイトの売買領域をV字回復させたりしました。
他にも、現在は主力サービスの一つである「住まいの窓口」は、私が中心となって立ち上げました。ただ、実は軌道に乗せるのに苦労しました。それまで当社はネットビジネス中心のサービスを展開していたため、実店舗の集客ノウハウがなく、お客様ゼロの時期が続いていました。にもかかわらず、家賃などの固定費は毎月発生します。一時は大赤字を覚悟し「退職したら許してもらえるかな」とまで考えたほど。しかし、オフライン広告での集客に注力したことで、現在はHOME’Sを代表するサービスにまで成長させることができました。私が他人よりもまさっていた部分があるとするなら「バッターボックスに立ち続けた数の多さ」かもしません。要するに、誰よりも挑戦し、失敗し、そこから学び、成長してきたのです。
たくさんの挑戦ができたからこそ、今の自分があります。そのため現在は若手社員をどんどん役職者に抜擢し、成長の機会を創出しています。昨今はAIの台頭をはじめ時代の変化が速く、今のスキルや経験が今後もずっと通用するかは、誰にも保証できません。20代のうちからバッターボックスに立ち、少しずつヒットを重ねることで、変化に柔軟に対応できる力が身についていくはず。若い方にはそれが叶う職場を選んでほしいで
すし、LIFULLにはその環境があります。
私は、2代目社長として、ただ3代目にバトンをつなぐことだけが役割だとは思っていません。リスクをとって挑戦を続け、これまでにない社長像を発信し、世の中を驚かせたいのです。そのためにも、私はこれからもバッターボックスに立ち続けます。




