当社は「よなよなエール」「インドの青鬼」「水曜日のネコ」など、バラエティー豊かなクラフトビールを手がけ、新たなビール市場を開拓してきました。星野リゾートのグループ会社で、当社を立ち上げたのは星野リゾート代表の星野佳路氏です。私は創業時、営業担当として入社し、現在に至ります。昔からビールに興味があって…というわけではなく、実は成り行きで入った会社でした。
私は福岡県の高専を卒業後、東京で大手電機機器メーカーのエンジニアとして約5年間働きましたが、いまいち夢中になれずに退職。その後は環境アセスメント会社に入ったものの、業務内容が想定と違い、半年ほどで辞めてしまいました。
やりたいことがわからなくなった私は、バイクで日本全国を一人旅することにしました。自分探しの旅です。バイクのスピードに身を任せ、風景と一体になる感覚を味わいながら、行く先々で心温まる出会いを重ねていく…。北海道や東北を数ヶ月かけて巡り、自分の中ではっきりとわかったのは、私は「自然」と「人」が好きだということでした。
自然豊かな地域の求人を探し、旅から帰った数日後に軽井沢の広告代理店へ営業職として入社。その会社のクライアントが星野リゾートであり、星野氏と出会ったことを機に、当社の創業メンバーとして誘われた形です。
それからも紆余曲折ありました。創業した1997年は、クラフトビールを町おこしや観光商材に取り入れることが流行っていた時期。その背景も相まって順調に売上を伸ばしました。しかしブームの終焉により、2000年ごろから業界全体で売上が落ち込むように。同業他社100社以上が倒産や業界からの撤退を決めたほか、当社の従業員も半数以上減ってしまい、会社存続の危機にまで陥りました。
そこで私が最終手段として目をつけたのが、ビール業界では当時まだ珍しかった、インターネット通販でした。すでに出店していたものの開店休業状態だったネットストアの立て直しに注力。メルマガやトップページの作成方法を学び、サイトを改修したところ、徐々に売上が回復していきました。出店したECサイトでの年間ベストショップに選出されるなどの成果を上げ、2008年に星野氏から社長をバトンタッチされました。
私が当社に入ったのは30歳の年です。その時点で転職回数は3回、当社が4社目でした。興味の赴くままに仕事を選んできた分、履歴書だけを見ればキャリアが転々としている印象があるかもしれません。それでも、実際にはその一つひとつの経験が、今の自分を形成してくれたと思っています。若い方には、周りと比べず、常識にとらわれず、自分らしさを貫くことを大切にしてほしいですね。当社も引き続き、独自のスタンスで新たな道を切り拓き、クラフトビール業界を牽引し続けたいと思います。




