勉強が嫌い。そんな理由で高校を中退し、18歳で営業の世界へ飛び込んだ私。19歳で起業すると破竹の勢いで業績を伸ばし、当時最年少の37歳で東証一部へ上場。現在は「初期費用ゼロ」を軸に、省エネ設備の導入やタレントを起用したプロモーション支援を提供しています。
華やかな経歴に見えますが、最初から順風満帆ではありませんでした。18歳で入社した営業会社は完全歩合制。契約が取れなければ収入なし。ダイヤル式電話をプッシュホンに切り替える訪問営業で、門前払いは日常茶飯事でした。収入ゼロが続き、水だけで空腹をしのいだこともあります。
過酷な日々を乗り越えられたのは、当時上司だった課長のおかげです。とにかく厳しい方でした。ある日お腹を空かせて営業に行こうとすると、課長が「飯も食わずに仕事ができるか」と一喝。半ば強引に昼食をご馳走になりました。そこで私は「今日100件営業して、契約が取れなければ辞めます」と宣言。必死に回りましたが、結果はゼロ件。
やり切った想いで公園でジュースを飲んでいると、偶然課長と遭遇。「目の前の家は営業したか?」と問われ「インターホンを押せ」と。嫌々押すと、課長が横から入り、卓越した話術であっさり契約を獲得してしまいました。無力さを感じる私に、課長は「インターホンを押したのはお前だ。これはお前の契約だ」と契約書を差し出したのです。その契約の前借りで私は踏みとどまれました。
以降も課長には毎日怒られましたが、不思議と腹は立ちませんでした。愛情ゆえだとわかっていたからです。課長に認められたい一心で努力した私は、営業成績で社内トップになり、課長すら抜く存在に。順調に成績を伸ばしていたあるとき、課長に食事に誘われました。普段と違い「お前は天才だ」と褒めてくれて、素直にうれしかったです。しかし翌日、彼は私に何も言わず、突然会社を去りました。
2〜3年は恨みました。が、あるとき気づいたのです。私を新天地に誘わなかったのは、彼なりの愛情だったのだと。トップ営業マンだった私を無責任に連れていくことが、本当に幸せか迷ったのでしょう。彼の真意を理解した瞬間、涙が止まりませんでした。
彼が残っていれば起業はしなかったでしょう。去ったからこそ新たな道を求め、今の当社の原点となる会社を起業したのです。起業当初、私は従業員に「どんなに俺が怒っても、お前たちを嫌いになることはない。その言葉はすべて、お前たちの成長のためだから」と伝えました。
約40年がたった今も、私にとって仲間の存在が何より大切です。課長にもらった絶対的な愛情が、私の心に受け継がれています。働く仲間を心から信じ、共に困難に立ち向かう。一人で頑張るよりも、仲間のために頑張る方が、人生はずっと楽しいですよ。





